2022年3月13日「クリスチャンにとっての苦しみとは」
2022年3月13日
「クリスチャンにとっての苦しみとは」
牧師 金子昭典
「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。
だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、
戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、
わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。勝利を得る者を、わたしとともに
わたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、
わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」
(黙示録3:19~21)
クリスチャンとして受ける多くの試練や迫害においての苦しみ、
悲しみを自分に与える者に対して[目には目を歯には歯を]
を前面に打ち出して不平不満を言って罪を犯したり、
(嘘も方便的な)嘘をついて逃げたり、または世に調子を合わせて
「私はイエス・キリストを知らない」というような意味合い
のようなことを言って悪口を言われないようにしたり、
または迫害を受けないようにするなら、御霊様は悲しまれ、
自分の近くにいる聖い御霊(聖霊)様は自分から離れ遠ざかり、
もはや滅びしかないようになってしまいます。
そうではなく、イエス様は罪人である私をアガペーの愛で愛し
十字架で苦しみ死んで下さったのだから、私はイエス様のために
試練や迫害で苦しむことを心から受け入れ喜びとします。
そして日々悔い改め、握っているものをささげ尽くし
御霊(聖霊)様の内住の準備をするなら、近くにおられる
御霊(聖霊)様は、すぐにでも自分の心の扉の戸を
たたかれます。そして上記の御言葉が実現するのです。
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