証し
・救いの証し・2019年の証し・2021年の証し
「救いの証し」 金子まゆみ
私は十六歳の時に、人生や将来を考えていました。このままだったら、将来は真っ暗だと思ったのです。
小さい時から、両親のけんか、又、父対、母と祖父母の争いを見てきました。
祖父母に幼児期は育てられ、私は幸せ者でした。祖父は本当に私をかわいがってくれたからです。
母は、大酒飲みの父、次々と事業を起こしては倒産をする父に、何度も家をとびだしては、
人が仲裁して家にもどることを繰り返していました。
高校生になって、幼い時から見てきた「大草原の小さな家」に出てくる教会に行って見たいと
思ったのです。「教会」なんて、見たことありませんでした。
それで、新聞のラジオ欄を見て教会の放送時間を調べ、ラジオ放送を聞いたのです。
そして、最後に無料で本をさしあげますと言われ、本が無料でもらえるのならとハガキを出したのです。
そして、数週間して、私の誕生日に一冊の本が届いたのです。
私は誕生日の記念にこの本を読みきろうと思い、一気にその本を読んだのです。真夜中でした。
そしたら、その本の中に出てきた、まことの神様が、私に、
「帰っていらっしゃい。帰っていらっしゃい」と声なき声で、私を呼んでおられると思ったのです。
私はすごく恐くなって、「まだです。私はまだ何も分かりません」と部屋の中で叫んでいました。
しばらくして、私は教会へ行きたいと思ったのです。
そして、一時間電車に乗り、ある教会の高校生クラスに出席しました。
何回か出席しているある時、私の髪の毛の数すら知っておられる、という御言葉に出会い、
私をそんなに知って、愛しておられる御方がいることに、びっくりしました。
私は両親からも、あまり愛されていないと思っていたからです。教会によく行くようになり、
少しは神様の愛にふれられていましたが、私は、とてもクリスチャンになんてなれないと
思っていました。当時、クリスチャンの人は、とっても「聖い人」に見えていたからです。
そんな私が、真剣に「救われたい」と思うようになったのは、父の迫害でした。
教会に行くことを禁じられ、家にいた時、私は押入れの中で祈ったのです。
「神様。もし、今度教会に私が行けれるようになったら、必ず、クリスチャンになり、
洗礼をうけたいのです」と。
高校を卒業して、短大に行くようになった五月に、一枚のハガキが届きました。
富山一麦教会から「特別伝道集会」の案内でした。私は、特別伝道集会に出席しました。
その時のことは、何も覚えていませんが、それから毎日、短期大学の帰り道に教会によってから、
家へ帰るようになったのです。教会に行くことが、うれしくて、うれしくてなりませんでした。
その年の七月に、罪を告白して、洗礼をうけました。しかし、救われた喜びがありませんでした。
その一週間後、大阪で青年バイブルキャンプがありました。
分級のときに、私の担当の大阪一麦の先生に「私は救いの喜びがありません」と言ったら、
先生は「救いは感情ではありません」と言われ、祈って下さいました。
そのあとの集会で、一人、一人が、祈る時がもたれ、私は勇気を出して、その時大きな声で
たくさんの人の中で祈ったのです。そしたら、どっーと、救いのよろこびが与えられたのです。
しかし、その後の家族の迫害が、私を命がけの道へと追い込んで下さったのです。
何度も何度も「教会へ行ったら、だめだ」と家族に言われ、
ここで「わかった」と、私が承知したら、私は地獄に行くと思ったのです。
聖書を用水に捨てられ、ある時は、父からすごくなぐられたこともあります。
父は教会にも土足で入っていったりもしたのです。
短大を卒業して、家を出る決心をしました。もっと神様に近づきたかったからです。
そして、教会の近くのアパートに住んで、和文タイプの仕事をしながら、教会の早天祈祷会から、
すべての集会に出るようになりました。献身をして、神学校へ行って、伝道師になりたかったからです。
早天が6時からで、その一時間前から外で祈りました。仕事の帰りにも神通川の川縁で祈りました。
神様に近づき、神様からの御声を聞きたかったからです。
一人住まいは、孤独でした。だから、なおさら、神を求めたのです。
ある雪のつもった日、孤独と何の状況も変わらない中、夜中に、今日こそ神様の声を聞きたいと、
ひとりで公園のベンチで祈っていました。何としても、何としても、神様に近づきたいのだと
私なりに固い決心をしていました。でも、神様の声も聞こえず、何も変わりませんでした。
その時、ひとつの聖歌を歌ったのです。聖歌590「救い主イエスと」の
「目の前の岩はさけて水わく 目の前の岩はさけて水わく」という賛美をしている時に、
私に信仰が与えられたのです。神様の声は聞こえませんでした。
しかし、「神様。あなたに信頼します」と叫んでいました。
又、「私が神学校へ行きたい」という願いに対し、故牧師夫人から
「マルコ5章18節,19節の御言葉が与えられたよ」と言われました。
「イエスが、船に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人、ゲラサ人が、
お供をさせて欲しいと、イエスに願った。しかし、イエスはお許しにならず、彼に言われた。
「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きな
ことをしてくださったか、どんなにあわれんでくだったかを知らせなさい。」
そして、40年の月日が流れました。この40年の中で、両親は離婚しましたが、
二人ともイエス様の救いを受け入れ、和解し、回復の時が与えられました。
私は両親の介護の時を与えて下さり、何よりも両親の救いを喜んでいます。
イエス様の十字架の救いと、よみがえりの命のすばらしさは、なかなか分かりませんでした。
金子牧師の導きの中で、ようやく最近、十字架の救いと、よみがえりの命のすばらしさが
わかってきました。40年もかかってしまいました。
でも今は、イエス様にお会い出来る喜びでいっぱいです。主に栄光があるように!
「2019年の証し」 金子まゆみ
私がはじめて聖書を読んだ時、ひとつの御言葉が目に留まりました。
それは、「『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めです。そうすれば、あなたは幸せになり、
その土地であなたの日々は長く続くという約束です。」(エペソ6:2~3)
私は、この御言葉だけは、絶対に実行出来ないと思ったのです。
あれから40年以上の月日が流れました。今月の12月8日の礼拝の賛美の中で、十字架のイエス様が
両親の上に、ほほえんでおられるのが見えたのです。私の冷たい反抗的な不満の人生を送ってきたこと
を深く悔い改めました。両親を敬えない私は主イエス様とともに十字架につけられて、死んでいたのです。
そして、主イエス様は、よみがえらせて下さいました。イエス様の十字架の贖いのゆえに、
天の父なる神様は、私を両親を敬う者と見て下さる。それは奇跡でしかありえません。
私ははじめて悟ったのです。父なる神様は、私の両親を、私への最善として選ばれたということを。
そして、父なる神様に、私の最善の両親を通して生まれてきたことを心より感謝します、と心から
言えたのです。
「人生を導く5つの目的」の本の2日目にも、
「最も驚くべきことは、あなたがどのように生まれるかについても決めておられたということです。
神の御計画は、あなたの生まれた状況や両親の状態に左右されるものではありません。
たとえ、あなたの両親が親の務めを果たさず、無関心であったとしてもです。あなたの両親は、
神の意図された『あなた』を組み立てるのにふさわしい遺伝的特質すなわち神の意図された
DNAを持っていたということなのです。」と書いてあります。
まさしく、私の両親は、私に最高のDNAを与えて下さったのです。
神様の最善の御計画によって。そして、驚くべきことに、神様は、私に教えて下さいました。
私の父は、私のことをとても愛していたのだということを。
父は「まゆみ」と名前をつけた時、「ま」は真実な子になって欲しいという思いから「ま」を付け、
「ゆ」は有一の「ゆ」、「み」は美世子の「み」をとって、まゆみと名前をつけたのです。
父は私によく、「努力」する人になりなさい、と言っていました。
又、いつでも勉強しなさいと。テレビを見ないで勉強しなさい、とよく言っていました。
父は、私が命をかけてイエス・キリストを信じる為に迫害してくれました。
そして、72歳の時に、イエス・キリストこそ本当の神だとわかった、と言って洗礼を受けました。
12月19日に、いつものように主人と2人で野村病院の父に会いに行きました。
少し目があいているように見え、「お父さん」と呼ぶと、「オー」と反応しているように思えました。
主人は私の父に「お父さん。まゆみを愛してくれてありがとう。」と言いました。
私も胸がいっぱいになって、「ありがとう、お父さん」と言いました。
この日この瞬間、どれほど神様が喜んで下さったことでしょうか。
イエス様が十字架にかかって下さらなかったら、私は今でも父を恐れ、
神様に不平、不満をつぶやくしか出来ない人生しか生きれなかったのです。
私は残された生涯、増々、十字架だけを誇りとして生きていく者になりたいと強く思わされています。
最後に、ピリピ三章十節を読みます。
「私が心に固く決めている目的、それは神を知ることです。私は日を追うごとにもっと深く、
もっと親しく神を知り、もっと強くはっきりと神の御人格の神秘に迫り、それを認識し、
また理解したいと願っています。」
「2021年の証し」 金子まゆみ
へブル人への手紙(5章12節から6章1、3節)リビングバイブル
「あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。もうほかの人を教えても
当然なのに、もう一度、神様の教えのことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほど、
だめになっています。まるで固形物を食べるまでには成長していないので、いつもミルクばかり
飲んでいる赤ん坊みたいです。クリスチャン生活のごく初歩のところを行きつ戻りつして、
善悪の区別さえ、おぼつかない状態なのです。要するに、まだ赤ん坊のクリスチャンです。
あなたがたがもっと成長し、正しい行いをすることによって、善悪の区別がつくようになるまでは、
堅い霊の食べものを食べることも、神様のことばの深い意味を悟ることもむりでしょう。
ですから、キリスト教の初歩の教えをいつまでも卒業できずに、堂々巡りをするのはやめましょう。
むしろ、もっと理解力を高め、さらにすぐれた教えを目ざして進みましょう。
・・・主のお許しがあれば、次の段階に進もうではありませんか。」
この御言葉は、簡単に言うと、「あなたはキリスト様を知っていますか。」というのと、
「あなたはイエス・キリスト様について知っていますか。」
英語では、「Do you know Jesus?」か、「Do you know about Jesus?」の違いであります。
私は、今まで頭の知識だけでイエス・キリストを知ってきました。
頭だけであるので、実際的に、私の行動や言葉から、イエス・キリスト様の香りが出ていない。
実のない状態であります。この事実を直視することも出来ませんでした。なんとなく、
クリスチャンの生き方をしてきたのです。しかし、心の深い所ではいつも不安や恐れがありました。
9月の最終聖日礼拝で、金子先生は御霊のうながしをうけて、ゲッセマネの園で
イエス様が苦しまれたのは何を苦しまれたのかを教えて頂きました。
でもその時は、はっきり分からなかったのです。2日後、もう一度はっきりと
イエス様の気持ちを説明して頂き、悟ることが出来たのです。なぜすぐに分からなったのか、
それは、私はもう「ゲッセマネの祈り」のことは分かっていると思っていたからです。
そしてそれは、私が小学生の時に味わった絶望をゲッセマネの園の祈りの時に
私のためにも苦しんで下さったのだと理解していたからです。
実際のこの時のイエス様の死ぬほどの悲しみは、父なる神様と天地創造される前から、
ずっと完全な愛で結ばれ完全に従って来られた神の御子であられる御方が人間になられたゆえに、
父なる神様に対して不従順な心の揺らぎを経験されたことが死ぬほど悲しかったのだ
ということを教えてもらいました。一度も経験したことのない父なる神様への
完璧な従順でない思いを持たなければならないことが、あまりにも高い高い人間に計り知れない
聖いお方であるゆえに、このことが死ぬほどの悲しみとなったのです。
そして、「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなされますように。」と
完全な勝利を成しとげて下さいました。そのゲッセマネのイエス様の思いを知ってから、
私は、イエス様の十字架のシーンを見ても恐れなくなったのです。
私から恐れが取り去られたのです。自分の変わり様に自分がびっくりしました。
そして、家にあるいろいろなイエス様に関するあらゆるDVDをじっくり見るようになりました。
先週の礼拝の中で、マルコ8章34~35節の御言葉がありました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者は、それを失い、
わたしと福音のためにいのちを失う者はそれを救うのです。」
イエス様が十字架を負われるシーンがDVDの中から頭に焼きついていました。
そして、この十字架を負ってイエス様に従う者が固形物を食べれるまでに成長した
本当のクリスチャンなのだと思いました。ローマ兵からムチ打たれ、人々からはののしられ、
重い十字架を負って、ゴルゴダの坂を歩いて行かれたイエス様、
今まで、このシーンを何度も見てきましたが、今までは「私の身代わりとなって下さったのだ。」
という思いだけで、それ以上何も考えませんでした。しかし先週の礼拝の中で分かったのです。
イエス様は「この地上で、あなたも十字架を背負って歩く為に、わたしが見本を示したのだよ。」
と言って下さっていたのです。そして、十字架を負う姿は、この世の人達から見れば、
みじめで何ひとつ見ばえのしない姿でありますが、イエス様の心の中には、ものすごい平安が
あったのだということが分かりました。
礼拝の中で、「Peace Peace Wonderful Peace」という聖歌を歌いましたが、
私の心の中に、この賛美が流れていたのです。この深い深い平安、すばらしい平安、
この平安を味わいながらこの人生を十字架を背負ってイエス様についていきたい、そう思い、
涙があふれました。私は、これからの日々、ただ十字架だけを誇りとして生きて行きたいのです。
毎日、毎日、十字架のすばらしさだけを証しして、地上の生涯を終えたいのです。
もう、どっちつかずの生き方をやめて、私の唇から出る言葉が、いつも主を賛美し、
十字架を誇り、主の御心のみを行う者となりたいのです。
私には、私の日々の言葉や行動を見て、アドバイスしてくれる牧師(夫)や子ども達がいます。
私は、この払いきれない大きな愛の負債である十字架の愛に応えていきたいのです。
何としても、さらに、さらに神の愛を知りたいのです。
ホセア6章3節に、「私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように
確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。」